本小松石 値段

8寸角
 
¥2,000,000~ (ご納期2ヶ月) 9寸角 ¥2,500,000~ 在庫あり

      本小松石       
        本小松石」は、青色・赤色・灰色の3つに分類され、青が一番高価になります。
 
神奈川県真鶴 本小松石丁場 2014年12月16日      


丁場から原石の引き取り作業 
工場へ運搬してご注文の品へ加工します
本小松石」は、青色・赤色・灰色の3つに分類され、青が一番高価になります。

             

     


本小松石って

小松石が有名人達に選ばれるワケ

本小松石は神奈川県真鶴町でのみ採ることのできる輝石安山岩のことで、安山岩のなかでは上級品です。

その中でも墓碑、墓石用には最上級のものが選ばれ、良質なものは希少で色揃いともなると高価になります。

特に緑色の最高級品の色合わせは非常に希少で大変高価です。


美1つ1つ個性がありちがう表情を持つ石。

本小松石の魅力は、なんといいましても時間の経過と共に変化していくところです。

季節の移り変わりや年月の積み重ねで少しずつ変化して行きます。

何十年、何百年と時間を経ることによって"味"が出てくるのです。

本小松石は、掘り出された一つ一つの割れ石の色や密度が微妙に異なり、気候や湿度によって

も石の表情が変わったり、歳を重ねる事によっても変化する生きている石といえます。

      【本小松石特有の、ナデ(石の模様の流れ)】

    本小松のナデ   本小松 展示

      ナデ(石の模様の流れ) 縞模様が個性    

      

      本小松石 緑目
    弊社在庫の9寸角高級型
     銘石をご覧にお越し下さい。

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       給水
        火山岩-安山岩

岩石分類
耐久性

本小松石は生きている石。

本小松石は光にあわせて表情が変わり、屋外では太陽光との調和、屋内においては人工の光を受け

とめ、見る者の心を落ちつかせます。時を経ることによって味が出てくる石。美しく風化し、生き

ている石。本小松石はまさしく生きている石と言えるでしょう。

古くは、鎌倉市内にある源頼朝の墓や、北条氏一族の墓に小松石が多く使われています。

また、大正天皇・昭和天皇のお墓も『本小松石』で造られていることは有名です。

徳川秀忠、 徳川光國、水野忠邦、徳川慶喜、 犬養毅、 横山大観 、樋口一葉、志賀直哉、

東條英機 力道山、林家三平、勝新太郎、美空ひばり さんなどまだまだたくさんの方々の

石碑に使われています。

      
    
石質は硬く耐久性耐火性に優れており、独特の風合いがありわずかに緑がかった灰色で淡い艶

を持っています。 特に磨きによって表出するきめ細かな石肌、独自な色味と希少性などが特徴で、

墓石・間知石・割栗石・砕石などとして幅広く使用されています。

掘り出された一つ一つの割れ石の色や密度が微妙に異なり、気候や湿度によっても石の表情が

変わったり、年月が経つにつれてさらに深い味わいを醸し出していきます。

真鶴周辺(真鶴町岩地区)の山で採掘されていますが、希少なため高級墓石材のなかでも最上級とされています。

 

本小松石を見分ける

本小松石特有の、ナデ(石の模様の流れ)や色見をしっかりと見極め、年月と共に変化していく石

の表情の特徴を予測し、また墓石に使う場合は棹石、上台、中台を組み合わせるので、その3つを

しっかりと色合わせをする必要があります。 小松石は時と共に美しく風化(変化)していきます。

柔らかなあたたかみのある光沢を発し、月日を重ねると味わい深く増す、日本人の心にしみる

「ワビ」「サビ」の石材です。原石は茶色、研磨することにより石の内部は淡灰緑、アヅキ、

灰色の3種類の色に大別され、帯状の縞模様や黄金色が浮いているものもあります。また、墓石材

以外にも自然石としても使用され、形のよいものは庭石や記念碑にもなります。


 


本小松石の歴史

真鶴町がある真鶴半島は、今から約40万年前に箱根火山の噴火によってその地形が形成されました。

その時、地表に流れ出した溶岩が急に固まったものが、小松石の原型である安山岩です。

源頼朝が鎌倉に幕府を開いて(1192年)以来、都市づくりや社寺の造営に伊豆石が用いられ、後北条氏の

関東支配後、小田原城をはじめ城郭建築が盛んになり、石工の技術も急速に進歩しました。

鎌倉時代には「伊豆石・相州石」と言われ、鎌倉幕府では、都市づくりや社寺の建造に用いられました。

江戸城の築城に多く使用されたことでも有名です。

真鶴が、小松石の産地として有名になったのは、徳川家康が江戸幕府を開いた頃で、江戸時代の300年間、

石材供給のため、主に徳川御三家(紀州、尾張、水戸)及び松平家、黒田家などが真鶴の各所に丁場(採石場)

を開いて石材を海路にて江戸に送りました。

明治以後も相州小松は繁栄をつづけ大正天皇墓稜、昭和天皇武蔵野稜の奉建までに及びました。


真鶴町の旧岩村の小松山にその名は由来しており、小松山から取れる石材から小松石と呼ばれるようになりました。

今日では真鶴以外の産地でもその名がつけられることから、真鶴産の石は特に、「本小松石」

と呼んでいます。最近では、切り出したままの状態で庭園や公園、記念碑等にも使用されています。

しかし、近年では採石場の確保が難しく量産が出来ないため、希少性、価値が増しています。

「 本小松石」は、青色・赤色・灰色の3つに分類され、青が一番高価だと言われています。

    


石の表情はさまざま。1つとして同じものはありません。

石の表情とは専門用語で言う「流れ」や「色見」であり、これは他の石材(世界)の中でもほとんどない小松石特有の味わい

になっています。一つとして模様になる物は御座いません。

希少な石のために墓石の使えるものはほんのわずかで、良い石を見つけることがとても難しく加工も繊細なため本当の

小松石のすばらしさを表現することは時間と手間が掛かります。

石屋の精魂を傾けて作り上げた小松石は異彩を放ちます、他の石には無い自然との一体感や風合い、

優しさの表情は言葉ではつくしきれないほどです。年月が経つほどに味わいの出る小松石、長い歴史の中でこんなにも

多くの方に愛された石を自信を持っておすすめしたいと思います。
 



真鶴町(まなづるまち) 丁場にて  2014年12月16日

  
             



 
地図上の  A地点がJR川崎駅前     B地点が石材店サンソー 

        


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